縁起のご紹介
本堂建設の記録

 天王山神保寺と号していたようですが、現在は天応山と表記されています。高野山真言宗の藤沢市感応院の末寺で、開山は元栄和尚。元和8(1622)年6月11日ご入定をされましたが、建立は永宝8(1680)年に堅岸和尚によるものとなっています。おそらくは中興であったと思われます。『ふるさとの寺と仏像』茅ヶ崎郷土会発行より抜粋。

 開山は不明ですが、近隣の広徳寺のご開山とは、兄弟弟子で、熊野神社参道に庵を設けて修行していた所へ、地元住民の信心を受けて檀家寺と成っていったようです。今でも、白井家・原田家・水島家・新倉家の大世話人が、護寺会の中心を担っています。

 大正12年の関東大震災で伽藍は全壊し、平成21年までは仮本堂のまま過ごしましたが、再建計画が軌道に乗り、平成23年には、現在の本堂が落慶いたしました。詳細などは『 本堂建設の記録 』をご覧下さい。ご希望の方には記録DVDもございます。

 ご本尊は、千手観世音菩薩坐像で、平成20年の修復で、東京国立博物館木工芸師:桜井洋師により、江戸中期の作と判定され、脇佛の地蔵菩薩坐像と不動明王立像も同時期と判定されました。修復は同年で、東京芸術大学院准教授:辻賢三師によるものです。

 尚、本堂脇陣の閻魔十王立像は大変珍しく、大山の山開きに登山者の安全祈願で麓まで出開帳をしていたところ、集めた御賽銭を地元の若衆が酒に変えて飲んでしまったため、憤慨して立ち姿になったと言う逸話が残っています。体内には宝暦の年号と伊勢の職人の名が発見されています。修復は辻賢三師によるものです。・・・続く。

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