【2】「 お坊さんになれますか、なった方が修行が進むのですか?」
 一口に僧侶になると言っても、人によって思いは異なっています。目的も求道や信心や研究や職業や資格や趣味等いろいろですが、それによって結果も異なってきます。
 先ず趣味の範疇でお話しします。これはもう好きずきの問題ですが、現在ではカルチャーセンターのようなところで、教典の説明や歴史散策と言った内容の教室が開かれていますので、お寺に行くより手っ取り早く知りたいことだけ学ぶとよいでしょう。
 次に就職や資格取得の様な感覚で、お寺に入門を希望する場合に、もっとも障碍になる問題は、就職先の寺院の絶対数が世間よりいっそう狭き門であり、弟子入りさせてくれる師僧がおいそれと見つからないというところにあります。
 また信心の有る方で、寺院参詣の経験が永く、住職の親任も厚い方ですと、環境さえ整っていれば、得度を許される場合も有りますが、その場合も修行を一応すませたからといって、僧侶としての生活が約束されているわけでは有りません。ほとんどの方々が一般職に戻って生活しています。
 つまり、職(食)を求めて門をたたいてもだめだと言うことです。組織として人材を保護すると言うようなことは皆無です。当てにしてはいけません痛い目を見るだけです。あくまでも好きで続ける以外に方法はないわけです。
 道を求めた結果として、弟子入りできる機会を得られるかもしれません。修行生活のできる環境が整うかもしれません。得られる状態は成り行きに任せるしかないのです。捨て身の部分がないと、なかなか機会は訪れないでしょう。
 幸い得度できたとしても、剃髪し法衣をまとった瞬間から、責任と批判の的になる覚悟も大切な心構えの一つです。あきらめずに道を求めてください、ご縁が有れば仏様が呼び寄せてくれるかもしれません。

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